大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第二小法廷 昭和56年(オ)880号 判決 1985年4月26日

主文

原判決中上告人敗訴部分を破棄する。

右部分につき本件を大阪高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人道工隆三、同井上隆晴、同柳谷晏秀、同中本勝の上告理由について

一  原審の適法に確定した事実関係によれば、(1) 被上告人谷内金子の夫であり、同谷内ナツの子である訴外谷内常雄は、昭和四九年七月一日、大阪市此花区四貫島大通一丁目七番地先交差点(以下「本件交差点」という。)西詰めの横断歩道を南から北へ横断歩行中、東から西へ走行してきた訴外池田治男運転の普通貨物自動車に衝突されて頭蓋底骨折の傷害を受け、翌二日死亡した、(2) 本件交差点は、第一審判決添付別紙図面(以下「別紙図面」という。)記載のとおり、東西道路と南北道路がやや斜めに交差し、更に他の道路が東南で交差する東西方向に長い変形五差路であり、路面は平坦でアスフアルト舗装されている、東西道路は、グリーンベルトをはさんで片側四車線であるが、西行直進車線は三車線となつており、東詰め停止線から西詰めの南北横断歩道(以下「本件横断歩道」という。)の東端の線までの距離は、最短で五四・二〇メートル、最長で六八・七三メートルである、最高速度毎時四〇キロメートル、駐車禁止の各規制がある、(3) 上告人が本件交差点に設置し管理している自動式信号機は、その周期が一一四・五秒であつて、東西道路西進車両の対面信号機である別紙図面(A)、(B)の信号機の時間配分は、青が二七・〇秒、黄が二・五秒、交差点の全信号機が赤となる全赤が一・五秒、引き続いて赤が八三・五秒であり、本件横断歩道の歩行者用信号機の時間配分は、(A)、(B)の信号機が青、黄、全赤の合計三一秒の間は赤である、なお、南北道路の車両用信号機である別紙図面(D)、(F)の信号機の時間配分も、右三一秒間は赤であり、これを経た時に右歩行者用信号機とともに青となる、また、東西道路の東進車両用信号機である同図面(C)の信号機は、(A)、(B)信号機の青、黄、全赤、次いで右歩行者用信号機及び(D)、(F)信号機の青を通じて、赤のままである、(4) 西進車線の交差点内の距離が長いため、西行車両は、指定最高速度の毎時四〇キロメートルで進行しても、四秒間に進行する距離は四四・四メートルであるから、黄と全赤の四秒間に交差点を抜け切ることができず、これを抜け切らないうちに南北道路の(D)、(F)信号機及び本件横断歩道の歩行者用信号機が青に変わることになる、というのである。

二  被上告人らは、右の事実関係を前提としたうえ、本件事故は、加害車と被害者がいずれもその対面信号に従つて交差点に入つたのに、加害車が交差点を通過し切らないうちに本件横断歩道の歩行者用信号機が青に変わるという信号機の設置、管理の瑕疵があつたために生じた事故であると主張して、上告人に対し国家賠償法二条一項に基づく損害賠償を求めた。

原審は、これに対して、加害車は黄に変わる直前の青信号に従つて交差点に進入し、被害者も青信号に従つて横断を始めたが、信号の時間配分が不適切なため交差点内で事故を発生させる危険性が高いという信号機の設置、管理の瑕疵があつたため、本件事故が発生したもので、右瑕疵と本件事故との間には相当因果関係があるとして、被上告人らの請求を一部認容した。

被害者が青信号で横断を開始したと認める理由として原判決の説示するところは、次のとおりである。

(一)  加害車を運転していた池田は、西行車線のグリーンベルトから二番目の車線を時速約四〇キロメートルで本件交差点に入り、直進した。池田は、事故の二時間くらい前に清酒二合を飲み、また、降雨のためワイパーを作動中で、前照灯は下向きであり、前方の見通しは十分でなかつた。

(二)  池田の本件事故にかかる業務上過失被疑、被告事件における供述調書(甲第三号証の四、九、一一ないし一三)によれば、池田は、青信号で交差点に入り、(B)信号機の手前八・一メートルの<2>の地点に差し掛かつた際、(B)信号機が黄に変わるのを認め、さらに三二・三メートル進行して<3>の地点に達した時、雨傘をさした被害者が一人だけ前方の本件横断歩道を南から北に向かい横断を開始し、既に南側歩道より〇・八メートルの地点(以下(イ)地点という。)まで進出しているのを一五・五メートル前方に認め、急制動をしたが及ばず、一四・八メートル進行した横断歩道上で加害車を被害者に衝突させ、更に三・一メートル進行して停止したというのであり、右供述による限り、計算上、被害者は赤信号で横断を開始したことになる。しかし、(1) 池田が飲酒状態で雨天の夜間走行をしていたことを考えると、急停止をするためには、一秒間の反応時間の空走距離一一・一メートルと、雨天のため湿潤状態にある平坦なアスフアルト舗装道路を時速四〇キロメートルで走行する自動車が急停止するときの制動距離一五・四メートルとの合計二六・五メートルを必要とし、池田の供述する一四・八メートルと三・一メートルの合計一七・九メートルでは停止できない。(2) 右一五・四メートルで停止するのに必要な制動時間は約二・八秒と認められ、反応時間一秒との合計は約三・八秒となるところ、被害者が(イ)地点から衝突地点までの一・七メートルを歩行するのに必要な時間は、歩行者の時速を四キロメートルとして試算すると約一・五秒となり、加害車が衝突後停止するまでの時間を考慮しても、双方と所要時間は一致せず、池田が被害者を発見した時に被害者が(イ)地点にいたとすれば、衝突の可能性はない。

(三)  本件事故の直前に南北道路北詰め停止線の手前で先頭車の運転者として信号待ちをしていた野際満義の司法警察員に対する供述調書(乙第二号証)には、「折柄東西道路の通過車両はなく対面信号が変わる気配だつたので、チエンジ・レバーをニユートラルからセコンドへ入れた時、前方を一台のトラツク(すなわち加害車)が東から西へ通つたが、交差点を過ぎる時急ブレーキをかけて異常な停まり方をしたので、前方を見ると対面信号が青になつており、すぐ発進右折した。」旨の供述記載があるが、野際は、対面信号が青に変わる瞬間は見ていないのであるから、加害車が南北道路との交差部分を通過し終えるまでの間、前方対面信号、したがつてまた本件横断歩道の歩行者用信号機が赤であつたと直ちに推認することはできない。また、野際の検察官に対する供述調書(甲第三号証の七)には、「チエンジ操作をしたのは東西道路の信号機が黄に変わつたのを見たためであり、そのころ加害車は東詰め停止線に入つたか入らないかの際どいタイミングであつた。」旨の供述記載があるが、野際の停止位置から西進車両用の信号機は見えないから、右供述記載は措信できない。

(四)  このように、被害者の赤信号横断をうかがわせる証拠には、その証明力に疑いをさしはさむべき点がある。

(五)  第一審証人今井米一は、「本件事故の直後に、本件交差点の西詰め南側の歩道において、本件横断歩道を渡ろうとしていた四、五人の歩行者のうち中年の女性二人が、歩行者用信号が青なのに危ないねと会話しているのを聞いた。」旨証言している。また、甲第三号証の八(被上告人谷内金子の司法警察員に対する供述調書)には、「夫は注意深い性格であり、今まで赤信号で横断を始めたことはない。五、六年前から通つていた道であり、赤信号では渡つていないと思う。」旨の供述記載がある。さらに、横断報道の歩行者がその対面信号が青にならないのに横断を始めるのは、交差道路の信号が黄又は全赤の場合が多く、青の場合は危険が特に大きいので極めて少ないことが経験則上明らかである。本件横断歩道を南から北に向かつて歩行しようとする者は、東西道路の西進車両用の信号を全く見ることができず、対面信号が赤である間に横断を始めることは極めてまれであると考えられ、それにもかかわらず被害者が赤信号で横断を開始したと認めるべき相当の事情があつたとは認められない。

(六)  以上を総合すると、池田の供述する<2>、<3>の各地点の合理性は疑わしく、右各地点を前提として被害者が赤信号を無視して横断を開始したと推認することは相当でない。かえつて、池田は、黄に変わる直前の青信号で本件交差点に進入し、黄・全赤の四秒間を更に西進した地点で被害者を発見して急制動をかけたものであり、その時被害者は青信号に従つて横断を始めようとする態勢にあつたものと認められるから、被害者は池田と同様青信号で横断を開始したものと認められる。

三  しかしながら、原判決の右説示のうち、まず、右二(二)の(2)についてみるに、(イ)地点から南側歩道までは〇・八メートル、衝突地点までは一・七メートルというのであるから、衝突地点は南側歩道から二・五メートルの距離にあることになるところ、原審と同様の計算方法によれば、被害者がこの間を歩行するのに必要な時間は約二・二五秒にすぎず、池田の反応時間と制動時間を合わせた約三・八秒との間には衝突後停止までの時間を考慮してもなおかなりの差があるのに、本件事故が現に発生しているのであつて、所論のとおり被害者が衝突の直前に立ちすくむことも十分考えられるのであるから、被害者が(イ)地点から衝突地点までに要する試算上の時間と池田の被害者発見後衝突までに要する時間との単純な比較から直ちに、池田が被害者を(イ)地点に発見したとする限り衝突の可能性がないとした原審の判断は、合理性を欠くものというほかはない。

次に原審の前記説示によれば、池田の運転する加害車はグリーンベルトから二番目の車線を走行してきて交差点に入り、直進したというのであつて、別紙図面にも照らすと加害車が交差点に入つてから本件横断歩道の東側の線に達するまでの距離は、五四・二〇メートルと六八・七三メートルとの平均値である六一・四七メートル前後となる。更に、同図面によると横断歩道の幅員は四メートルであり、また、池田の供述記載によれば、横断歩道内の衝突地点から停止地点までの距離は三・一メートルであるというのであり、この記載部分は原審も排斥しているわけではないのであつて、結局、加害車が交差点に入つてから停止するまでの距離は最大でもこれらを合計した六八・五七メートル前後をこえないことになる。原審は、他方では、池田は、停止地点の二六・五メートル手前で、横断を始めようとする態勢にある被害者を発見し、急停止の措置をとつたというのであるから、池田は被害者の対面信号が青に変わる瞬間に横断態勢にある被害者を発見したと仮定しても、池田の対面信号である(A)、(B)信号機が黄に変わつたのはその四秒前であり、この四秒間に加害車が原審認定の時速四〇キロメートルで走行した距離は計算上四四・四メートルとなるから、(A)、(B)信号機が黄に変わつたのは加害車が停止地点より七〇・九メートル手前の地点にいたときということになる。しかも、これは、右のとおり池田が被害者の対面信号の青に変わる瞬間に横断態勢にある被害者を発見したとの仮定の上に立つものであるところ、被害者が対面信号の青に変わるのを認識してから横断態勢に入り、かつ、そのことを外部から認識することができるような状態となるまでには、若干の時間を要するものと考えられること、夜間の降雨時で前方の見通しが十分でなかつたこと、原審の採用した前記今井証言には、本件横断歩道の南側で信号待ちをしていた歩行者は、(被害者のほかにも)四、五人いたとする部分があることなどを考慮すると、この仮定には無理があるものというべきであつて、被害者が青信号で横断を開始したとする以上、池田が横断態勢にある被害者を発見した時には、被害者の対面信号が青に変わつてから若干の時間を経たのちであつたものとみるほかはなく、この間にも加害車は時速四〇キロメートルで走行を続けていたのであるから、右七〇・九メートルという距離は更に長いものであつたことになるのである。そうだとすれば、加害車は、(A)、(B)信号機が青から黄に変わつた時には東西道路西進車両用の東詰め停止線よりも更に東側にいたことになり、これらの信号機が黄に変わつたのちに交差点に進入したものというべきことになるのであつて、加害車が黄に変わる直前の青で交差点に進入したとの認定と矛盾する。

更にまた、原審認定の被害者発見後一秒間という池田の反応時間については、加害車の走行状況を外部からみた場合には、なんらの異常を認め得ないものと考えられるところ、前記甲第三号証の七及び乙第二号証(いずれも野際の供述調書)には、原審が排斥した部分を考慮しても、交差点北詰めで発進準備をしながら信号待ちをしていた野際が、少なくとも加害車の走行状態の異常に気付くまでは対面信号が青に変わつたことを認識していなかつたことをうかがわせるに足りる記載があり、もし池田が被害者の対面信号が青に変わつた瞬間に被害者を発見したのであるとすれば、被害者の対面信号と野際の対面信号とは同時に青に変わるのであるから、野際は、発進準備をしながら信号待ちをしていたというのに、その対面信号が青に変わつたことに一秒間も気付かなかつたことになり、このことは、他に特段の事情のない限り、池田が横断態勢にある被害者を発見した時には、野際の対面信号、したがつてまた被害者の対面信号がまだ青に変わつていなかつたことを疑わせるものと考えられるのである。

そうすると、原審の前記説示には、上記のような点において経験則違反又は理由不備、理由齟齬の違法があるものというべく、この違法が原判決中上告人敗訴部分に影響を及ぼすことは明らかであるから、論旨はその余の点について判断するまでもなく理由があり、原判決中右部分は破棄を免れない。そして、右部分については、叙上の点について更に審理を尽くさせるため本件を原審に差し戻すのが相当である。

よつて、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判官 鹽野宜慶 裁判官 木下忠良 裁判官 大橋 進 裁判官 牧 圭次 裁判官 島谷六郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例